『第6回石川うつ病リワーク研究会で発表してきました』
平成30年9月21日(金)『当院リワークにおける認知矯正療法について』という題で発表致しました。
特別講演はメディカルケア虎ノ門の五十嵐良雄院長先生で、発表前に少しお話する機会があり、とても貴重な時間となりました。
ご来場の方、関係者の方、ありがとうございました。
平成30年9月21日(金)『当院リワークにおける認知矯正療法について』という題で発表致しました。
特別講演はメディカルケア虎ノ門の五十嵐良雄院長先生で、発表前に少しお話する機会があり、とても貴重な時間となりました。
ご来場の方、関係者の方、ありがとうございました。
今回は前回に引き続き畑プログラムの歴史、第3弾となります。
ふれあい農園ではこの年も鍬(くわ)の音が響きます。
ただ、今までよりも少しだけ鍬の音は静かになりました。
初代農園長がここを去りました。
何人かの患者さんもこのプログラムを卒業しました。
初代農園長もいく人かの患者さんも新しい生活の場所を見つけました。それはとても素敵なことです。しかし、それは同時にふれあい農園が静かになることを意味するのです。
初代農園長はここを去る時、1本の鍬(くわ)を託していきました。荒れ地を切り開き、作物を実らすために共に闘った、それこそ汗と涙がしみ込んだ愛用の鍬(くわ)を託していったのです。それは、これからこの畑を作っていくものたちへのささやかなエールなのでしょう。(そういえば、あの鍬(くわ)はどこに行ったのでしょう・・・この前蜘蛛の巣をとる時に使ったのは確かなのですが・・・)
そんなささやかなエールを背に一人の作業療法士が立ち上がりました。彼女は初代農園長がいなくなって寂しがる農園者や気がつかなかった農園者まで、全員を鼓舞し、引き連れて畑を耕し続けました。
今まで作ってこなかった作物に挑戦し、それらを使った『まかないメシ』を提案。さらに『まかない当番』制度を導入しました。結果、”野菜炒め”、”トマトソース”、”焼き芋”など定番メニューから”正体不明”のものまで、いろいろな料理がプログラムをいろどりました。
また、雨の日には木工を行うというプログラムを根付かせ、巨大な棚を作成し、他の作業療法士をひかせました。
こうしてシーズン3が終わるころには、ふれあい農園は他のどの部署も知っているプログラムとなっていました。
そして、気がつけば彼女の右手にはしっかりとあの鍬(くわ)が握られていました。
季節は夏。今年の大雪と猛暑を乗り越え、ふれあい農園はシーズン4の真っただ中!
農園者たちと2代目農園長の活躍はまた折を見て報告していきます。では、また!
今回は前回に引き続き畑プログラムの歴史、第二弾となります。
BBQパーティーが開かれ、農園者達は喜びとやる気に満ち溢れていました。参加者も徐々に増えだし、若い参加者も現れ、安定した運営を続けられると思っていた矢先、さらなる難問が持ち上がったのです。
バッタです。
かつてこの地で猛威を振るっていたバッタたちが農園を襲い始めたのです。作業療法の勉強にきていた学生が植えた小松菜、キャベツ、ブロッコリーは無残に食い荒らされました。(この学生は幸いにもこの無残な姿を見る前に勉強を終えました。また、ほかの学生はなぜかドングリを植えていったので虫たちには全く相手にされていません。)
農園長は「背中にバッタがついた!」とか、「肩に何か触った!」とか逃げまどいながらも、害虫駆除スプレーで対抗しました。患者の中でもこの事態に対抗しようと立ち上がるもの、あまりの惨状に立ち尽くすもの、ベンチに座ってお茶を飲んでいるものなど『ふれあい農園』はパニックです。
そこにさらなる問題が浮上します。
カラスです。
ある日、ナースセンターの窓から『ふれあい農園』を見下ろしていた看護師から報告がありました。
「あんたら(農園者たちが)帰った後すぐにカラスたちが集まってくる。まるで地獄や。」
そう、カラスたちは農園者たちが帰った後に玉ねぎやトマト、さらに今回の目玉であったトウモロコシをついばみにやってきていたのです。
慌てた農園長と患者は会議を開きました。そして、作物の周りにポールを立て、ネットを張り巡らすことにしたのです。
10月。小動物たちの逆襲をなんとか退け、農園者たちは2回目のBBQパーティーを開きました。苦労のかいあって食べるBBQは最高です。看護師からも肉の差し入れがありました。もちろん、玉ねぎやトマト、トウモロコシも無事です。
冬になり、『ふれあい農園』は2年目を無事終えようとしていました。しかし、まだ問題は終わりではなかったのです。
農園長が『ふれあい農園』を去ろうとしていました。