『夜明け前』

平成30年9月29日、福井メトロ劇場にて『夜明け前~呉秀三と無名の精神障害者の100年~』という映画を見てきました。この日はさらにイタリアの精神科医であるイヴォンヌ・ドネガーニ先生という方が講演をされ、バザーリア法という法律についてお話を聞くことができました。

呉先生は患者を拘束するのではなく、治療的に関わるべきだとされ、仕事や手作業をさせるべきだと主張したそうです。それは、精神障害を持つ患者をより人権的にとらえるということでもあったようです。ドネガーニ先生は精神障害の治療法とは、仕事を持つこと、人間関係を持つことだと話されました。
呉先生の時代には作業療法という言葉はなかったのだと思いますが、その当時から作業療法的なことは行われ、そしてそれらの目的とするところは現代にも通ずるものなのだと思いました。

映画の終盤で松沢病院の院長である齋藤 正彦先生がこんなことを言われています。
「呉先生の時代には薬がなかった。我々には薬がある。なぜできないのでしょうか。」
これは拘束だけのことではなく、精神科医療にかかわってきた作業療法にもあてはまることだと感じ、今一度自分が行っている作業療法とはどういうものなのかを深く考え直したいと思いました。

『第6回石川うつ病リワーク研究会で発表してきました』

平成30年9月21日(金)『当院リワークにおける認知矯正療法について』という題で発表致しました。
特別講演はメディカルケア虎ノ門の五十嵐良雄院長先生で、発表前に少しお話する機会があり、とても貴重な時間となりました。
ご来場の方、関係者の方、ありがとうございました。

エピソード3:新たなる希望

今回は前回に引き続き畑プログラムの歴史、第3弾となります。

ふれあい農園ではこの年も鍬(くわ)の音が響きます。
ただ、今までよりも少しだけ鍬の音は静かになりました。

初代農園長がここを去りました。
何人かの患者さんもこのプログラムを卒業しました。

初代農園長もいく人かの患者さんも新しい生活の場所を見つけました。それはとても素敵なことです。しかし、それは同時にふれあい農園が静かになることを意味するのです。

初代農園長はここを去る時、1本の鍬(くわ)を託していきました。荒れ地を切り開き、作物を実らすために共に闘った、それこそ汗と涙がしみ込んだ愛用の鍬(くわ)を託していったのです。それは、これからこの畑を作っていくものたちへのささやかなエールなのでしょう。(そういえば、あの鍬(くわ)はどこに行ったのでしょう・・・この前蜘蛛の巣をとる時に使ったのは確かなのですが・・・)

そんなささやかなエールを背に一人の作業療法士が立ち上がりました。彼女は初代農園長がいなくなって寂しがる農園者や気がつかなかった農園者まで、全員を鼓舞し、引き連れて畑を耕し続けました。
今まで作ってこなかった作物に挑戦し、それらを使った『まかないメシ』を提案。さらに『まかない当番』制度を導入しました。結果、”野菜炒め”、”トマトソース”、”焼き芋”など定番メニューから”正体不明”のものまで、いろいろな料理がプログラムをいろどりました。
 

また、雨の日には木工を行うというプログラムを根付かせ、巨大な棚を作成し、他の作業療法士をひかせました。

こうしてシーズン3が終わるころには、ふれあい農園は他のどの部署も知っているプログラムとなっていました。
そして、気がつけば彼女の右手にはしっかりとあの鍬(くわ)が握られていました。
季節は夏。今年の大雪と猛暑を乗り越え、ふれあい農園はシーズン4の真っただ中!
農園者たちと2代目農園長の活躍はまた折を見て報告していきます。では、また!